【回想】初めは乗り気ではなかった

いやー、風呂上がりが暑い!

ようやく、初夏の陽気になったんかいな。朝も寒くはなかったし。そのかわり職場では汗だくだがね。





今回も、回想シリーズ。時期的には10月下旬のころです。

このころになると、すっかり住宅熱に侵された相方さんは、展示場へ行こう、ハウスメーカーへいこう、とやかましく、ハウスメーカーの看板を見たら、条件反射的に、あそこいこう!とお強請り(←「おねだり」を漢字変換したらこんな字にw)するようになった。



だが・・・おれはちっとも乗り気ではなかった。

そりゃあ、前回書いたように、そろそろなんらかの手を打たねばならぬ。まだ4年あるとはいえ、そんなのあっというまに過ぎてしまう。それはわかっているのだが・・・



実はこのころ、父親が大病を患い入院→手術、という状況だった。

まだ働いてはいるが、もう60を超えている。心臓病なので、身体障害者になってしまった。こうなると、仕事はどうなる?

60超えてまだ仕事している理由は、10年前の実家増改築の借財がまだ残っているから。

母親も仕事しているし、実家には弟が居る。弟は30歳過ぎて独身ではあるが立派に社会人としてやっているので、放って置いても問題ないだろう。

が、放置する気には、どうしても、なれなかった。



おれ、長男なんです。諸般の事情(という書き方したら特殊な事情でもあるような感じがするが)により、高校出てすぐ実家を出ている。

以来、10年以上経つ。ずーっと出ていたわけではなく、数年ほど戻っている時期もあった。そのころに、実家は増築している。

ハッキリとはされていなかったが、俺が帰ってきたから、増築したのは間違いない。

家継いでくれると思ったんだろうな。

だが、こっちはそんな気はない。機会を見付けて、再び出てしまった。

それいらい、何となく別居生活。だけど、別に親子の縁を切ったわけではないから、月に一度は顔出しに戻ったり。



んなもんで、そこで病気になられると・・・おれこのままでいいんかい?と、考えるわけですよ。

そこで、家建てるぞいえー、とか言われても、気乗りしなかった。



その後、すったもんだがあって、実家の方ではこっちで家建てることについては認めてくれた。

ただ、病気して借金返済大変なときに何にも出来なくて、子供として申し訳ない気持ちはある。

しかし、無い袖は振れない・・・・・





ということで!

宝くじ当てたら半分を実家に進呈してそれで借金チャラにしてもらって親孝行♪(←ダメムスコの例)

はりろぐ(仮)

2005年~2008年頃のブログの復刻。当時の家づくりの記録を中心とした内容。とはいえ大したことないので、内容は無いよう(寒)

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